映画な談話室

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蓮實重彦を読む - 忠さん

2017/03/01 (Wed) 01:07:18
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最近、映画評論も読んでいます。『映画論講義』(2008年・東京大学出版会・蓮實重彦)を読みました。夏目漱石論と同様、一人の映画監督のさまざまな作品に「反復」される「運動・身ぶり」の「意味」と「説話論的な機能」を読み解いていく方法論はなかなか刺激的でした。一例だけ紹介します。小津安二郎の映画には、女性が「タオルや手ぬぐいやマフラーを襟元から遠ざける運動」、つまり「投げ捨てる」身ぶりが繰り返し描かれています。それを蓮實氏は「女性の憤りの身ぶり」と読み解いています。また、「説話論的な機能」としては、「投げ捨てる」身ぶりは、「紛れもない変化の予兆として機能している」とのことです。『東京暮色』では、母親の前で、マフラーを首筋から遠ざける娘(有馬稲子)は、その日の晩に事故で命を絶ってしまう、というような物語の劇的な変化の予兆としての「機能」を果たしている。もう一度、蓮實氏の指摘に注意して、小津の映画を見直してみたくなるような、そんな刺激的な本でした。
この本で取り上げている映画作家の多彩なこと!蓮實氏の映画への熱い思いが伝わってきます。特に関心を持ったのは、インドの映画作家・グル・ダッドの『渇き』のすばらしさにふれていた文章です。全く知らない監督ですが、観てみたくなりました。
映画だけでなく、優れた映画批評家の文章も読んでみるのもいいですね。そんなにほめちぎるなら、観てやろうじゃないか!っていう気にさせてくれるような文章に出会いたいですね。どなたか紹介してください。

Re: 蓮實重彦を読む - 忠さん

2017/03/01 (Wed) 12:16:56
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蓮實氏の発言の中から、私の興味をひいた箇所を引用しておきます。「21世紀の映画論」より。

 一九五〇年代に起こったことは、無声映画を撮ったことのある監督たちと無声映画を撮ることのなかった監督たちが、その違いを顕在化しつつ、」なお共存しえたことの優位にあります。無声映画を撮ったことのある監督たちは、トーキーへの移行期に、ロベール・ブレッソンの言葉を借りるなら、音響の到来とともに「沈黙」の意義を発見した人々であり、実際、小津にしても、フォードにしても、たった一つのショットで多くの事態を語る術を心得た人たちだったのです。それに対して、無声映画を撮ったことのない監督たちは、かえってその「沈黙」を当然視し、一つの事態を多くのショットで語ろうとする人たちです。

 面白い意見ではありませんか。日本映画の監督として、前者は溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男
、マキノ雅弘を挙げ、後者は黒澤明、今井正、木下恵介を挙げています。

Re: 蓮實重彦を読む - hirop URL

2017/03/01 (Wed) 13:44:32
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 「映画とにおける音の意味」は実に面白い指摘です。

 尊敬するメディア学の故・浜野保樹氏の著書には、マルクス兄弟の無声映画を例に「トーキーによる無声の発見」について触れられていました。
 大学の講義で、僕はこの部分をお借りし、「存在するものを敢えて描かないことで、その存在を強調する」手法について述べています。
 典型的な例としては、ドラマにおける周囲の雑音の遮断と復元(回想シーンでノイズが消え、ノイズが復元する=我に返る…といった描写)が挙げられるでしょう。
 音を「色」に置き換えれば「カラー映像の中のモノクロ的描写」、「動き」であれば「ストップモーションの挿入」などが、その発展系というか、延長線上にあるわけですね。

 音が出せないから仕方なかった時代を知っている人と、あって当たり前の人とでは、作り方はもちろん受け止め方も違います。
 すると、映画に音も色もあって当たり前と捉えている我々は、本当は「音のなかった時代の映画表現」をよくわからないまま(体感として、音のない時代のお約束を刷り込まれていない状態で)無声映画を観ているのではなかろうか?という疑問に突き当たります。
 我々は「聞こえるはずの音が出されない」ことに対して意味づけを行いますが、サイレント時代の観客は「そもそも存在しない『音』を聞こう(見よう)と」スクリーンに向き合っていたのでしょう。

 デジタル時代の今では、もう何でも表現できてしまいます。だからこそ「敢えて表現しないことこそが表現していることなのだ」という逆説的な話を、教壇でおしゃべりしてます。はい。
 

Re: 蓮實重彦を読む - 忠さん

2017/03/01 (Wed) 15:06:36
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蓮實氏は、また「国際映画祭とその弊害」という小見出しをつけたて、次のようなことも言っています。「グル・ダットの全貌に向けて」より。

 一九五〇年代はどういう時代か。(略)映画の上でいうと、これはまぎれもなく「国際映画祭の時代」です。第一期の「国際映画祭の時代」というべきかもしれませんが、五〇年代のはじめに黒澤明がベネチア国際映画祭で「金獅子賞」を受賞して世界的に認められたことがこの時期を象徴しています。それは「発見」の時代といってよいかもしれませんが、ある国の文化をふおtわかったような気にさせてしまう映画作家が珍重された時代です。たった一本の映画でその国の文化がわかったりすることなどありえませんが、少なくとも、わかったような気にさせてくれる映画作家が、世界各地で「発見」されていったのです。

 蓮實氏はこう述べながら、発見された映画作家として、黒澤以外にフェデリコ・フェリーニ、サタジット・レイ(インド)、ベルイマン、ミケランジェロ・アントニオーニを挙げています。引き続き、蓮實氏は「その弊害」に言及しています。

 多くの映画作家たちのお多彩な活動が視界から遠ざけられてしまうような空気が、その時期の「国際映画祭」に作用していたといったほうがいいかもしれません。例えばいま挙げた名前の中には、アメリカの映画作家の名前は一つもでておりません。(略)「国際映画祭」で評価される作品は、どこかしら地方色めいたエキゾチックなところがなければならないというところがありまして、そうでないもの、つまりその国でごく普通に受け入れられている日常的な生活を題材とした作品が世界で「発見」されることが妨げられたのです。例えば、小津安二郎の作品は外国人には理解しがたいものだという自己規制のようなものが働いて、あまり「国際映画祭」には出品されませんでした。世界による小津の発見が二〇年も三〇ねんも遅れたのは、そうした理由があるからです。

 私はこの指摘を読みながら、昨日(2月28日)の朝日新聞が二面と文化・文芸欄の二箇所で、「第89回アカデミー賞」の話題を取り上げていたことを思い出しました。第二面の見出しは「ハリウッド分断に抵抗 米アカデミー賞トランプ風刺満載」「イラン作品も受賞」「時の政治状況にじむ祭典」というものでした。また文化欄では、「多様化 黒人にスポット」「『白人偏重』一変 主要部門で受賞」という取り上げ方をしていました。私は、この記事を読みながら、マスコミの取り上げ方も政治状況を反映しており、「映画」そのものの質を論じたものでないことを危惧します。私たちは、「映画祭」のお祭り騒ぎに浮かれることなく、「祭典」を少し冷静にみていったほうがいいようですね。「その弊害」を常に頭に入れながら、受け止めるべきだとあらためて思いました。
新聞の文化欄の記者はこうも書いています。「今のハリウッドはコミックをスクリーンに置き直した大味な大作が目立つ。しかし一方で中規模な秀作が目立っている。これが米国映画の強みだ。テレビの普及で映画が斜陽化した1960年代末に低予算のアメリカン・ニューシネマという傑作群が登場したのと似た状況にある」と。ニューシネマの時代に似た状況であるとするならば、アメリカ映画も少しは期待感も持てようが、はたしてどうなんでしょうか?

Re: 蓮實重彦を読む - hirop URL

2017/03/01 (Wed) 17:03:49
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 新聞の文化面は社会面とは一線を画しているはずなんですが、トランプの影響はこんなところにも及んでいるんですね(笑) まあ、新聞記者の見識と蓮見さんの見識を比べちゃいけませんが^^)ゞ

 今や映画祭は「営業の場」になっていて、それはヨーロッパでも同じですよね。そして西欧では、やはり「日本的=着物姿」のイメージが拭えず、カンヌで今村昌平さんの「楢山節考」が小栗康平さんの「泥の河」に競り勝ったのは1983年だったと思います。結局「着物を着た昔の人が親を捨てる方の作品」が日本ぽかったのでしょう(泥の河は戦後の大阪が舞台)。
 だからというわけでもないんですが、是枝裕和監督の「誰も知らない」で柳楽優弥君が最優秀主演男優賞(最年少&日本人初!)を獲ったときには驚きました。それ以降じゃないですか、「今の日本」を捉えた作品が注目されるようになったのは。

 アメリカン・ニューシネマの登場は、レッドパージを経験したハリウッドがベトナム反戦やヒッピー文化をバックにして盛り返しを測った時代だと思うのですが、当時の若い監督たちにとっては、ハリウッドの映画産業自体が「対峙すべき権力」そのものでした。
 イ-ジーライダーだって、最初はただのロードムービーだ、筋がないと酷評されていたけれど、若者から絶大な支持を集めてしまった。だから、今のアカデミー賞とその時代とを「似た状況」と見ることには違和感があります。あれは反権力ではなく、「反大人社会」の映画だし…。
 反権力という意味では、根底に反権力思想を抱えたキャメロン監督(ヒッピー世代)の「ターミネーター」あたりまで時を待たなければならないと思ってます。それでも、最初はただのB級SF扱いでしたし。

 ただ思うのは、作品そのものではなく個人の行動として、映画人たちが政治的な発言を堂々とでできる国・アメリカは(そりゃ状況はいろいろあるけれど)やっぱ懐が深いなぁと思う次第です。
 日本の映画人で、そこまでやれる人っているのかな?と。

Re: 蓮實重彦を読む - 忠さん

2017/03/01 (Wed) 17:38:17
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映画評論家といわれている人たちは、ビデオやDVDのなかった頃にどのようにして映画批評をを書いていたのだろうかと疑問に思っていました。このことについて、蓮實氏は次のように述べています。「リアルタイム批評のすすめ」より。

DVDやビデオが存在する以前に、映画を見ることで、われわれの何が鍛えられたかというと、動体視力です。流れ星のように、一瞬、画面に生起した運動をどこまで見ることができるか。大きなスクリーンに上映された場合はますますそうですが、映画の一つの画面に込められた一瞬ごとの情報量はめちゃくちゃに多い。その中である種の中心化がなされていて、映画作家も構図のうえで、あるいは照明の具合によって、さらには被写体との距離によって、「ここを見ろ」という一点を示しているし、確かにそうしたところは見なきゃいけない。しかし、あくまで文化的な制度にすぎないこの中心化にさからい、周縁に追いやられているものだって、われわれの瞳には見えてしまう。ときには映画作家がまったく意図していないものが、われわれの感性を揺るがすことだってあります。ゴダール的にいうなら、映画は「一秒間に二四の死」からなっていますが、その「二四の死」にどこまで立ち会いうるかという動体視力の問題として、一九六〇年代まで映画はあったのです。

 「動体視力」というのが、映像の中で繰り返される「運動」・「身ぶり」に着目した評論を書いている蓮實氏らしい言葉ですね。いいショットを見逃してなるものかとスクリーンを凝視ている姿が浮かんできます。また、「私も作品を見たあとでノートはとりませんが、動体視力がとらえた画面の運動は、それを言葉にしたとたんに記憶から遠ざかってしまうからです」とも述べています。
 私たちは、ビデオやDVDの出現によって、いつでもどこでもなんどでも見られる便利な世の中に生きていますが、それゆえに、この「動体視力」を弱めていってしまっている気がします。映画鑑賞の原点はやはり「動体視力」の鍛錬ですよね。

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