映画な談話室

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町山智浩を読む - 忠さん

2017/03/01 (Wed) 18:17:33
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『<映画の見方>がわかる本』(町山智浩・洋泉社・2002年)を読みました。少し古い本ですが、今読んでもなかなか面白いですよ。1967年「2001年宇宙の旅」から1979年「未知との遭遇」までのアメリカ映画を取り上げています。本書の意図をこう述べています。

 完成した作品だけでなく、制作過程を辿らないと、勝手な思い込みや誤読に危険があるのです。本書では、(略)シナリオの草稿や企画書、関係者のインタビュー、当時の雑誌記事などに当たって裏付けを取りました。

蓮實重彦氏の「動体視力」がものをいう評論ではなく、「作品の表面に直接は描かれない作者の意図、もしくは作品の背景」を一般の人があまり目にすることのない資料に基づいて、知ろうという評論も面白いですね。アメリカン・ニューシネマといわれるアメリカ映画をもう一度見直してみたいという気になりました。
 私がこの評論で面白いと思ったのは、「2001年宇宙の旅」がなぜわかりにくい映画になったのか?を解説した箇所です。キューブリック監督自身が最初に書いたシナリオでは、「ストーリーを説明するナレーションが要所要所に入って」おり、すでに録音も済んでいました。また、本編が始まる前に「科学者や宗教家など専門家十一人のインタビューが十分間上映される予定」で、これも撮影は済んでいました。にもかかわらず、ナレーションもインタビューも、監督自身が編集の段階で独断でカットしてしまったというのです。ハリウッドでは もともと映画の編集権はプロデユーサーがにぎっていたのですが、監督が大胆にもこんなことをしてしまったのですからすごいですね。こんな裏話もなかなか興味深いですよね。

アメリカン・ニューシネマ - 忠さん

2017/03/06 (Mon) 18:45:55
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一九六〇年代のアメリカでは、既成の文化に「NO」を突きつけるカウンター・カルチャー(対抗文化)が若者の心をとらえた。その熱気の中から、いわば「動脈硬化」状態であったハリウッド映画を真っ向から否定する映画が作られ始める。町山氏は、この時期にハリウッド映画が観客から見放され、倒産寸前までに追い込まれていった要因を三点にまとめている。
(1)ハリウッドの映画産業はユダヤ系移民によって築かれてきた。そのためWASP(イギリス系白人のプロテスタント)からは常に「映画は風紀を乱す下品な見世物」と批判されてきた。そこでハリウッドは1922年に「ヘイズ・コード」という自主規制を作り、セックスやドラッグ、暴力の描写を自らに禁じてしまった。それが六〇年代の時代の変化を写す足枷となってしまったというのである。
(2)一九四〇年代後半から「アカ狩り」が始まり、社会や政治への批判を映画の中に込めただけでアカと決めつけられ弾圧された。そのためにハリウッドは政治や社会問題に触れることを避けるようになった。
(3)映画産業の「老害」。当時、大手映画会社はどこも創立者が実権を握っていた。例えばワーナー・ブラザースでは七十歳を超える創業者が社長の座を譲らず、どんな映画を作るのか、どのシーンをカットするか、すべての実権をこの老人が独占したいた。不景気のためどの映画会社も新規採用をし低なかったので、制作現場のスタッフも平均年齢は六十歳を超えていた。
 こんなハリウッド映画に「NO」を突きつけた映画『俺たちに明日はない』が作られ、ニューシネマの幕が開くのである。
 映画史を読んでいると、映画は時代と共にあることを改めて実感します。

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